2019-08-14
のとじま水族館 夏の混み具合は
チェックアウトをして、のとじま水族館へ向かいます。
実は、こんな込み込み真っ只中の時期に、そしてこの灼熱の時期に水族館きたことないんだけど。
こここ、こわい。
本当は、人混みとか、僕は怖いんだ!
ええと、パニクった時は
Anne-Marie[2002]っていう曲を聴いてみて、落ち着きます。
でも、みんなと一緒だから大丈夫。
ダイソーのセルカレンズは神コスパのトイカメレンズ
ダイソーのセルカレンズを使ったよ。
屈折率が悪くて、全てがソフトフォーカスで、全てにピントが合わない。
この類のレンズを知っているぞ。
写ルンです。
そう、ピントがないあの不思議なレンズとフィルムが一体化したカメラのこと。
おもちゃっぽくてもいいよ。
ロシア系のトイカメラなんて、ほんと、ダイソーレベルの写りで数万円もするよ。
Why?
でも、Lomoとかに手を出してしまうのはなぜ。
カメラ中毒だと思う。
まあ、フィギュアコレクターみたいなもんだ。
いや、だから、言いたいことはダイソーはすごいよ。
この捻じ曲げた感じなんか、もうゴッホ氏の世界。
ゴッホ氏の初期の頃の絵は写実的で暗く、色あざやかなものではありませんでした。
絵を描き続けた彼は、筆の運びを追求し、線を強調したようなタッチが自分の絵だと気が付き軌道に乗っていましたが、次の壁は色彩でした。
そして、シャルル・ブランの有名な「補色の理論」を適用して絵を描きました。
例えば、筆でひとなでした赤を緑で縁どれば赤が濃く見える。
補色から、反対色の魔術師となりました。(私が勝手に言っています。)
後半の作品は、青の反対色である黄色に執着し、こだわって絵を描き続けていましたね。
彼は、弟の手紙に
「深い青の中に散らばった鮮やかな黄色は、闇夜に浮かぶ金塊のようで青が黄色をひきたてる」
と、書いたそうです。
そうそう、じつはゴッッホ氏の弟が、絵を売りながら画材を全て工面してくれていたんです。
金塊とかいう表現はどういう生活したら出てくんの?
砂金取りならしたことあるんだけどさ、金塊ってねえ。みたことないしなあ。
日本人だったら、「紺碧色の世界に散らばったカナリア色は、深夜に蝋燭のあかりだけで金の絵付けをする撒き餌職人の筆の先のようで、紺碧の深い色がカナリア色を引き立てる」とでも表現すればいいのだろうか。
ぜんぜん、上手いこと言えてないね。
と、話がどうしてこんなに逸れるのだ?
まあ、水族館っていいよねって、言いたかっただけなんだ。
ヒラメとカワウソもかわいい
ヒラメの擬態。
すごいね。砂そっくりだよ。
海の生き物面白い、さかなクンが海洋生物の虜になる気持ちもわかる。
コツメカワウソ、こっち向いてサービスするね。
ちょとだけ、うちのギルに似てる。
vol.10へ続く。
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